アイアンウッド・レンジャーチョーカー

 カチャン、カチャンと甲冑の揺れる音がする。
 リノの瞳が薄らと開かれ、背もたれにしていたチョコボがクエッと鳴いた。ぼやけたままの視界が、吐いた息でわずかに白む。
 諸々の合間を縫って各地の様子を見に行く中、ガレマルドでちょっとした頼まれごとをされ、それを片づけたところで空き家で休憩していたのだったか。いつのまにか眠っていたらしいが、この寒さではもしかすると命の危機だったのではないか。
 そこまで思考が行き着いたところで、リノの四肢がもぞもぞと動いた。

「随分と隙を晒したものよな、我が友よ」
「……ぜの、す、さん?」

 寝惚けて舌の回らぬまま呼ばれた名に、ゼノスはその碧眼を見開いた。

「…………」
「…………」
「……うわああぁっ!?」

 暫しの間ごうごうと吹雪く音だけが響いたが、ようやく覚醒したらしいリノが叫び声を上げながら立ち上がり、驚いたらしいチョコボまでもが飛び上がる。それでもゼノスは表情ひとつ変えることなく、リノを見下ろしていた。

「な、なん、えっ」
「お前は常に戦いに身を置くものだと思っていたのだがな」
「…………いや、私だって休憩くらいしますよ」

 ちらりと窓の外を見てみると、リノがここに来た時よりも随分と天気が荒れていた。彼はこの吹雪を凌ぐためにここに来たのだろうかと、リノはぼんやりと思う。

「その……座ったらどうですか。追い出したりなんてしませんから」

 この男が素直に応じるかどうかはわからないし、正直なところこの状況に恐ろしさを感じていた。リノには転移魔法の詠唱の隙を晒す気もなければ吹雪の中に身を投じる気もなく、そしてそんな環境にゼノスを追いやるつもりもなかった。
 リノが視線をやった方向をゼノスも見る。チョコボの羽毛であたたまることを優先したリノは使わなかったが、そこには大柄な彼でも座れそうな椅子があった。埃こそ被っているものの、庶民が使う分には上等なものに見えた。

「…………」
「再戦は……できませんけど」
「今のお前にその気がないことは知っている。……このような時間も役に立つやもしれんな」

 後半の呟きは風の音にかき消され、リノの耳に届くことはなかったが、ゼノスはその椅子に腰かけることでここに留まる意思を示した。
 リノは眉尻を下げながら笑い、荷物からチョコボの飼料を取り出した。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 当然のことながら、ゼノスとリノの間では友人らしく話に花が咲くことなどない。
 対話は相手のことを知る手段であるとリノは承知していたが、ゼノスが自分に何を求めているのかはリノなりに理解しているつもりであった。
 剣呑な空気がないだけ満足であるし、驚くべきことでもある。
 英雄と呼ばれ慕われているリノと、今や世界の敵と言っても過言ではないゼノスが、こうして顔を合わせて過ごしているなどと、一体誰が信じるだろうか。

(吹雪、まだ止みそうにないなあ……)

 とはいえ、お互い無言のままでチョコボを撫で続けることにも限界を感じていた。
 リノが荷物を漁り、作業台を組み立て始める様子を、ゼノスは興味深げに見やる。

「それは何だ?」
「暇なので装備を新調しようと思って。素材は手元にありますし。……音を立てても?」
「構わん」

 その返事に一息つき、リノは木材を手に作業を始める。うたた寝していたらしいチョコボが迷惑そうな顔をしていたが、ゼノスとリノの視界に入ることはなかった。
 木材を切る音に削る音、金具を形成し調整する音が響く。

(……見られている……)

 ただでさえまじまじと見つめられながらの作業は緊張するというのに、相手があのゼノスではリノも集中することができない。手元がもたつき、細工がやや歪む。

「お前は身に着けるものを自ら拵えているのか?」
「えっ、と……全部じゃ、ないですけど。やっぱり自分の身を預けるものですから。いざというとき修理もできないと困りますし。大抵のことは一通り、自分で」
「成程な。それも我が友なりの爪の研ぎ方というわけか」

 何かが間違っている気がしたが、リノには反論する余裕がなかった。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「……うぐぅ……」

 それから仕上げの工程を経て、完成した首飾りを眺めてリノは唸った。
 実用には耐えられるが、リノが要求する水準には惜しくも届かない。これでは新調する意味も薄いだろう。

「あああぁぁぁぁ……素材がもったいない……」

 それからじとりとした目つきでゼノスを睨む。怒りと戦意に彩られた表情とはまた違うなと、ゼノスは内心思った。

「あなたのせいですよ、あなたの!」
「ほう?」
「そんなにじっと見られて集中できるわけないじゃないですか! もう! もう!」
「ハ、」

 作業から解放されて気が緩んだのか、リノの態度は気安いものとなっていた。
 まるで牙も爪も持たぬ小動物のような怒りように、ゼノスは鼻で笑う。これが戦いともなれば代えがたき極上の獲物と化すのだから、まったくもって不思議なものだ。

「ああもう……うーん……分解するのはもっともったいないし……」

 リノの視線がゼノスと首飾りの間をちらちらと行き来する。やがて意を決したように大きく深呼吸して首飾りのサイズを弄ると、ゼノスの目の前にずいと差し出した。

「はい」
「……何のつもりだ?」
「責任もって、引き取ってください」
「…………」
「その、あくまで自分用に作ったやつなので、あなたにはそこまで役に立つものでもないですから。敵に塩を送るつもりじゃないです」
「…………」
「あ、敵に塩を送るっていうのは私の故郷の言い回しで……」

 リノが故郷の故事を披露するのを待たず、ゼノスが首飾りを手に取る。飾りの石が揺れて小さな音を立てた。

「ふむ……」
「……気に入りませんか?」
「いや。我が友が自ら手がけた品ならば、否はない」

 そう言うとゼノスは元々つけていた首飾りを外し、リノから受け取ったものを身につける。逞しい首筋が青い石で彩られる。その一連の所作にはどこか気品が感じられ、リノは今や剥奪された皇太子という地位を思った。
 彼が帝国の皇族の生まれなどではなく、自分と同じ一人の冒険者であったなら、どうなっていたのだろうか。
 相も変わらず狩りと称して強敵を屠るのだろうが、その相手は人を脅かす獣であり、憎しみを燃やす竜であり、自由を阻む圧制者であり、はたまたまだ見ぬ世界の恐るべき機構であるかもしれない。そして苛烈な冒険の合間には、背中を預ける仲間とともにひとつふたつの言葉くらいは交わすのかもしれない。
 そんな詮無きことを考えていたリノのもとへ、ゼノスから何かが投げ渡された。

「え、わっ、なんですか」
「お前の爪が一片になるかは知らぬが、返礼の品だ。受け取れ、友よ」

 手の中には紫色の美しい宝石がやわらかく光っていた。宝飾品も扱ってきたリノの目には、チェーンも含めて相当に価値のある品だとわかる。目を白黒させるリノをよそに、ゼノスは窓に目を向けた。

「どうやらお前の懸念も晴れたようだな」

 吹雪はどうやら止んでいるらしい。この様子なら移動に困らないだろうと、リノも一息ついた。いや、目の前の男が視界からいなくなったあとで、テレポでシャーレアンに戻ればいいのだ。
 それがわかっているはずなのに、ゼノスが立ち上がってもなお、リノはその場から動けなかった。出立の気配を感じ取っていたチョコボが、こてりと小首を傾げる。

「……我が唯一の友、エオルゼアの英雄、リノ」

 低く掠れたように紡がれた声音が、自分の名前を表していることに気づき、やや遅れてリノの瞳が見開かれた。

「お前は、何を…………いや」

 言葉の先を口にすることなく、ゼノスは瞑目する。別の獲物に気を取られた友にとって、この問いかけは意味をなさないだろう。ならば再び自らの牙を研ぎ、再戦の時に備える日々に戻るのみ。

「行くのだろう? お前はお前自身の獲物のために、こうして牙を、爪を研いでいる」

 ゼノスの指が自らの首元をそっと撫でる。装飾品に拘りを持ってこなかったゼノスでも、肌に馴染むようななめらかさを感じていた。リノは自身のために作ったものだと言ったが、まるでゼノスのために誂えられたかのようにも思われた。

「……あなたがいなくなってから、行きます」
「そうか。友の見送りを受けるというわけだな」

 決して友好的な返答ではなかったのに、ゼノスは少しばかり笑みを浮かべて言う。
 リノは何故そんなことが口をついて出たのか疑問に思いつつも、顔を引き締めてゼノスを見上げる。なんとなく、この男に自ら背を向けたくなかったのかもしれない。
 別れの挨拶は不要とばかりに、ゼノスはリノの横を通り過ぎていく。扉が開かれ、冷たい風が二人の髪を乱していく。
 振り返り、巨大なサイズを背負うゼノスの背中を見つめる。彼はこれからどこに行くのだろう。肩書きも立場も帰る場所も、失ってしまったというのに。

「…………また、会いましょう」

 小さな声が、雪の中に溶けて消えた。彼が自分との再戦を求めている以上、きっとまた相見えることになる。
その手に残された首飾りを、そっと握りしめた。
 ほんのひとときの穏やかさを、あり得たかもしれない情景を、心に刻みつけるかのように。