ある日町の中ボスに出会った

 変化というのは唐突に訪れる。
 あの日私はいつも通り、家でテレビを見ながらのんびりと夜を過ごしていた。明日も明後日もその先も、ずっと同じような日々を過ごしていくものだとばかり思っていた。
 けれど、そんな考えは階下から聞こえた悲鳴によって、一瞬にして霧散してしまった。
 虫が出たってくらいの騒ぎならどれほどよかったことか――争うような物音、聞きなれない怒声、悲鳴というより断末魔。どう考えたってただ事じゃあないってことは分かって、咄嗟に頭の中に浮かんだのは『逃げなければ』という考えだった。おじさんとおばさんの声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
 怒声の主は強盗で、何とか外に逃げ出したはいいものの、逃がすまいと追いかけてきた。大の男と子供の私、当然のように数分もすれば私は薄暗い袋小路に追い詰められてしまった。
 もう駄目だと、ここで殺されてしまうのだと、諦めかけたその時だ。
 まるで魂がずるりと抜け出したかのような虚脱感。気付けば私の目の前に、変な生き物が佇んでいた。生き物と形容していいのかも危うい。
 その生き物が私を守ってくれるのだと思い、とにかく応戦しようとした。しかし情けないことに、あっさりと強盗の不思議な武器に傷を負わされてしまったのだ。
 今度こそ駄目かと目をつぶった次の瞬間、耳に入ってきたのは断末魔だった。
 強盗の男は死んでいた。
 通りすがりのお兄さんが、私を助けてくれたのだ。出血していたせいで意識が朦朧としていて、あの時彼が私に何と言っていたのかは覚えていない。私は救世主のようなその人の顔を見つめながら、意識を闇に落とした。
 次に目覚めた時、私はギャングになっていた。
 唐突すぎて何を言ってるのかわからないと思うけれど、私にもよくわからない。全ては私の知らないままに進んでいた。
 私はわけのわからないまま、パッショーネという組織の一員になっていたのだった。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ボス、ボス」
「……ん……」
「朝ですよ、ボス」
「んん……ボンジョルノ、リノ」
「ボンジョルノ、ボス」
 あの絶体絶命の危機になって私の目の前に現れた不思議な影は、スタンドというそうだ。さらに通りすがりのお兄さん――ボスが倒してくれた、あの強盗もスタンドを持つスタンド使いであったらしい。
 ボスが言うには、スタンド使い同士で戦って(?)いるのを見て、見た感じ底の知れてる強盗のカス能力よりも、発現したばかりで未知数の私のスタンド能力に利用価値がないか気になっただけで、人助けをしたわけじゃあない、とのこと。
 それでも私を助けてくれた恩人には変わりないし、どうせ身元を引き受けてくれる人はほかにいないので、こうして犯罪組織でお世話になっている。
 もっとも、私はそれらしいことはしていないのだけれど。
「朝食、もうすぐできますから。カプチーノも淹れておきますね」
「ああ」
 私はもう表社会には戻れないのだとボスは言った。
 中学校も辞めることになるんだろうなあなんて思っていたら、なんとそれ以前に私はあの強盗に殺されて死んだことになっているらしい。ギャング半端ない、なんてポカンとしていたのが今では懐かしい。
「そういえば、コーヒー豆もうすぐ切れそうですよ」
「なに?」
 バスルームからボスの『買いに行かせるか……』なんてつぶやきが聞こえる。
 ここはボスが今普段の生活に使っている部屋で、私はボスに連れられてパッショーネに入団してからほとんどの時間をボスの隠れ家で過ごしている。というのも、ボス曰く私のスタンド能力はとても有用で、なおかつ絶対に表に出してはいけないものなのだそうで。私の存在を隠しておくには、同じく正体を隠しているボスの手元に置いておくのが一番いいらしく、それで私はボスと一緒に暮らすことになった。ボスが出かける時も私は大体置いて行かれるので、軟禁みたいなものだけれど、不満はない。
 不思議なことだけれど、私はこのギャングのボス、ディアボロさんと暮らす日々が、今までの人生の中で一番満ち足りているように感じるのだ。
「あ、ボス。もう準備はできていますよ、どうぞ」
「ああ、グラッツェ」
 こうして穏やかな朝を迎えて、書類仕事をするボスにエスプレッソを淹れたり、ボスに用意してもらったお気に入りの作家さんの小説を読んだり、ボスに代わって家事をしたり。いつもは私が料理を作るけれど、時々ボスがおいしい手料理を作ってくれたりもする。ギャングのイメージとは程遠い毎日だ。
 たまにスタンドを使ってボスの仕事を手伝ったりするけれど、それがどういう仕事なのかは知らない。十中八九悪いことなんだろうけど。
 でも、ボスの役に立てるのならそれでいい。
「リノ」
「はい?」
「昼はパスタにしよう……そうだな、ヴォンゴレがいい。豆と一緒に買ってこさせる」
「承知しました。あ、ドルチェはジェラートがいいです」
「わかった、それもだ」
「ありがとうございます、ボス」
 こんな幸せな日々が、この先ずっと続けばいい。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ボスが何だか疲れた様子で帰ってきた。お仕事で何かがあったのだろうか?
「お疲れ様です、ボス」
「リノ……コーヒーをくれないか」
「はい、淹れてきますね」
 何があったのかは、きっと教えてはくれないのだろう。それでも私はボスのためにできることをやるのだ。
 ボスが座っているソファの前のテーブルに、私はそっとコーヒーカップを置いた。
「お待たせしました」
「…………」
「ボス?」
「……リノ」
 カップに手を付けようとしないからどうしたのかと思ったら、急に力強く引き寄せられる。そのまま、ボスの膝の上、腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「どうしました、ボス」
「…………」
「コーヒー、冷めてしまいますよ」
「……構わん」
 回された腕に力がこもる。それからふわりと石鹸の香りがした。それで、ああ、誰かを手にかけてきたんだなと理解する。
 ボスは血なまぐさい何もかもを、ここに持ちこむことはない。
「今夜はワインを開けましょうか」
「……ああ」
「ゆっくり、休みましょうね」
「ああ……」
 ボスは人を殺したぐらいで沈むような人ではない。むしろ何の躊躇もなく他人を殺せる人だ。強盗の時もそうだった。ボスはとてもすごい人だ。
 けれど、臆病で、疑い深くて、脆いひとだ。
 強い力を持っているのに、その陰でいつも何かに怯えているような、そんなひとだ。
 きっと今も、その瞳に不安を浮かべているに違いない。
「大丈夫ですよ」
「……っ」
「大丈夫」
 私だけは、あなたの。 

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 最近ボスの様子が少しおかしい。焦っているというか、なんというか。
 時々、写真を眺めているのをよく見かける。
 どういう写真なのか、私には見せてくれないけれど。
「リノ……」
「? ボス、お出かけですか?」
「ああ」
 私は組織の内情を全く知らないけれど、何かよくないことが起こっているというのはボスの様子からわかる。
 なぜかどうしようもなく胸騒ぎがした。
「長くなるかもしれん。食糧は十分買い込んであるが……」
「問題ないですよ。……大切なお仕事、なんですよね?」
「……そう、だな」
 ボスが何日か戻ってこないというのはよくあることだ。
 私はボスの許可なしに外には出られないから、そういった時のために日持ちする食糧が冷蔵庫や戸棚の中にたくさん入っている。
 だから、ボスが気にすることは何もない、はずなのだけれど。
「いってらっしゃいませ、ボス」
「……行ってくる」
 額にひとつキスを落として、ボスは出て行ってしまった。
 途端に何だか部屋ががらんとしたように感じる。
 胸騒ぎは、治まらない。
「大丈夫、きっと大丈夫だから」
 例え敵が現れたとしても、あの日強盗を殺した時のように、簡単に片づけてくるのだろう。
 ボスはとても強い。
 だから、心配なんていらないはずなのに。
「……ボス……」
 きっとあと二日三日もしたら、ボスはここに帰ってきてくれて、また穏やかな日々を送ることができる。
 それまで待っているのが私の仕事。
 どうせなら部屋のすみずみまで掃除して、それから新しい料理の練習もしよう。ボスが帰ってきたら驚くくらいに綺麗にして、おいしいごはんを作って、ボスに褒めてもらいたい。
 それから、これは前々から考えていたことだけれど、この際帰ってきたボスに伝えてしまおう。
 私をもっと使ってくださいって。ギャングの世界に入る覚悟はとうにできているのだから、もう目隠ししてくれなくてもいいんですよって。
 ボスに出会うことがなかったら、私はあの時死んでいた。
 これから何年先もずっと――たとえボスが、ディアボロさんがボスでなくなっても、私は彼のために生きるのだろう。
 私の人生は、もうとっくにボスのものなのだから。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ボスが帰ってこない。
 もうあれから一週間以上経っただろうか。
 保存食も結構減ってきている。
 私は『知る』のが怖い。

「ボス」

 ボスは私に連絡をよこさない。
 いつものことだ。
 けれど、今は無性に声が聞きたい。

「ボス、ボス」

 ボスが帰ってこない。

『ガチャリ』
「! ボス!」

 ボスが帰ってこない。

「おかえりなさっ……?」
「ボンジョルノ。……貴女が、リノさんですね?」




 ボスは帰ってこない。